昭和歌謡小全集

父の運転する車は午後の国道9号線を黙々と走りつづけている。

後部席にいる僕と妹はすでに眠気に襲われていた。
母は助手席にいて、さっきからぽつりぽつりと父に何かを話しかけている。
親戚のなんとかさんとか職場のなんとかさんの話。父は運転に集中しているのか生返事で返す。
この頃はまだ補聴器を使ってないので、母の声が聞こえてないということはなかったと思う。

山口にある父の実家から、島根にある自分の家まで、車で4時間はかかった。隣の県だが島根は横に長く、帰る自宅は県境から遠かった。
お盆休みの終盤であっても、田舎の国道には渋滞と呼べる渋滞はほとんど起きない。せいぜい普段より走ってる車の数が多いくらいで、長時間同じ場所に足止めされるような状況は稀だった。

母が喋らなくなった。ぼんやりと外を見ている。
延々と走り続ける車の中、それぞれが無言で、この時間が経つに身を任せていた。

日が傾き外が薄暗くなってくると、ちらほらと対向車がヘッドライトを点け始める。対向車がいないタイミングで、父もヘッドライトを点けた。

前を走る車のブレーキランプが異常なほど明るく見えた。
信号待ちの車の列は、赤い光を放つムカデのようで、じっと動き出す機会を待っていた。

何時に着くんだろう。
こんな状況に置かれた子供に、眠くなるなという方が無理な話で。

母が思い出したように運転席と助手席の間にあるボックスの蓋を開けて、中からカセットテープを取り出した。
母も眠気を感じたのか、単にこの状況に飽きたのか、いつものカセットをかけるらしい。
何度も何度も聞いた歌謡曲たち。
カセットデッキにテープが吸い込まれ、車内には歌が流れ始める。

月夜の海に 二人の乗ったゴンドラが
波も立てずに すべってゆきます
朝の気配が 東の空をほんのりと
ワインこぼした 色に染めてゆく
そんな そんな夢をみました

国道9号線は片側一車線で、車は代わり映えしない夜の風景の中をゆるやかに蛇行しながら、ひたすらに走った。

所々でトンネルを通過した。
トンネルに入ると車内はオレンジ色の光で満たされた。等間隔で並んだオレンジ色のライトが、一定のリズムで、縞模様を流すように家族を照らし上げた。

ふと、さっきからずっと同じ車の後ろを走っているのに気付いた。どこまで一緒なんだろう。
ぼんやりと前の車のテールランプの赤い光を見続けた。

時には一人でもいいさなんて
つぶやくその後はあまりに肌寒い
ポスターのピエロがやけに今日は
ラッタタッタタッタなんておどけて見ている
ひとり芝居はもういやだね
幕を下ろしてくれないかね

信号が来るたびに、前の車が曲がってどこか行ってしまわないか気になった。
前の車が別の道に入っていく瞬間を、何としても見届けたい気持ちになっていた。

どこかの、小さな町に入った。
田舎とはいえそれなりに栄えた場所は通る。そういう時の信号は注意しなくてはいけない。栄えているということは、人が住んでいるということ。前の車の目的地がそこである可能性は、川沿いのただの交差点より高いはずだ。

信号が青になり、前の車が何事もなかったように真っ直ぐ走りだす。
父が運転する車も、何事もなかったように後をついていく。

それはまだ私が神様を信じなかった頃
九月のとある木曜日に雨が降りまして
こんな日に素敵な彼が現れないかと
思ったところへあなたが雨やどり
すいませんねと笑う
あなたの笑顔とても凛々しくて
前歯から右に四本目に虫歯がありまして

気がついてしまった。前の車が急に速度を落として、道路沿いのレストランみたいなところへすっと入っていく可能性がある。時間も時間だし、大いにありえる動き。これでますます目が離せなくなった。

……そういえば、うちはご飯どうするんだろう。
この曲が終わったら母に聞いてみようか。

この歌は雨やどりをしていた女の人が、一緒に雨やどりをした男の人となんだかんだあって、最後は結婚する歌だ。
物語を聞いているみたいで、なんだか好きな歌だ。

途中でとんかつ屋さんに寄って、そこで晩ご飯にしようか、と母は言った。着いたら起こしてあげるから寝てていいよ。
とんかつ素晴らしい。ほんとうに眠くなったら、寝てしまおう。

妹はとっくに寝ている。

雪の降る海峡をあなたは見ていた
たそがれの桟橋でわたしは泣いていた
愛を食べては生きていけないと
あなたは言うけど
愛のない暮らしなんて
わたしは欲しくない

山口の父の実家は、島根の僕の家より格段に田舎だ。
朝になると、家の外に出て、裏の山から引いている水道のところまで行き、そこで歯磨きとか顔洗いとかを済ませる、というのが当たり前になっていて、最初は驚いた。
そこは石作りの小さな水溜めに、山からの水がちょろちょろとホースから出続けているのだが、この水量が少なめなので、慣れないと歯磨きも顔を洗うのも難しい。

この水は夏でも冷たくて、驚くほど澄んでいる。

信号も何もない場所で、父はゆっくりとブレーキを踏んだ。
前の車が何の前触れもなく細い横道に入り、走り去った。
あっちには何があるんだろう、と思いながら、車が見えなくなるまで目で追った。

お前もおれも 今度こそは
うんざり別れたはずだった
厄介払いをしたように
夜にまぎれて 逃げ出してきた
本当に 不思議
恋の終わりなんだか
さみしくなってくる

皆でご飯を食べて、車は再び家に向かって走り出した。
妹があとどれくらいで着く?と母に聞く。さっきまで寝ていたので声に元気がある。

僕は結局ずっと起きていた。今はもう眠気がほとんどない。ご飯を食べに車から降りた瞬間、すーっと眠気がどこかへ行ってしまった。

たぶん、家に着くまで起きていられると思う。




引用楽曲:
山口百恵「夢先案内人」
布施明「ひとり芝居」
さだまさし「雨やどり」
内山田洋とクールファイブ 「二人の海峡」
清水健太郎「帰らない」




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